いまさらですが観てきました。いやー、これは面白かった!
映画の冒頭でヒロインであるウサギの「ジュディ」の両親が、「我々は諦めることで幸せになった」「警察なんて目指すな、ニンジンを売って暮らそう」的なことをジュディに諭すシーンが。

親がまず子供の可能性を潰していこうとする、このリアリティ。小学生ぐらいが観れば、「なに言ってるんだよこいつら・・・」と憤るかもしれないけれど、僕らぐらいからすると、「この両親が言っていることも一理あるよな。結局、ほとんどの人はなれるものにしかなれない。どこかで諦めるしかないよね。いや~正論!この両親正論!だけど、それストレートに言っちゃっていいの?」などと思うわけである。開始5分、この時点で名作の匂いがしてワクワクさせられた。

ズートピアは動物たちのユートピア。様々な動物たちが仲良く共存し、各自が「なりたいものになれる」場所。街の作りもそれぞれの多様性を許容する場所。優等生にありがちな正義感の塊かつ根性娘のジュディはそこで成功することを目指すわけです。でも、現実は違うと。修羅の努力でウサギ初の警察官になりズートピアに行ってみると、ウサギというだけで上司や同僚から露骨に差別される。しかも身体的なハンデもめちゃくちゃある。

前向きジュディはそれでも諦めずがんばるのだけれど、若く世間知らずの為いろいろ空回り。奮闘のあげく、差別のない世界を求めていたジュディ自身も、無意識のうちに差別の心を持っていたというのがわかるわけです。結果ズートピア住民の差別意識をむしろ助長することになり、失意のうちに田舎にUターンしてニンジン売りに戻る。心の優しい両親は娘が帰ってきてくれて喜んでいるけれど、ジュディは耳が垂れ下がった廃人(廃ウサギ)状態。ちなみにここで「昔ヤンキーだった奴が真面目に更生して手に職つけている」という小ネタも入るけれど、この辺もリアル。

で、根本が意識高い系根性娘のジュディはすぐに立ち直ってズートピアに戻り、相棒であるキツネのニックの支援を再び受けて、もう一度立ち上がっていくわけです。そして大団円へ。

序盤から最後まで、ジェットコースターのような感じ。伏線の配置から回収、めまぐるしい展開、くだらない小ネタなど、終始飽きさせない。内容的には完全に大人向けと感じるけれど、子供もきっと楽しいでしょう。

ディズニーアニメは根本的に啓蒙映画なんですよね。アナ雪もそうだったけど。差別やジェンダー問題に意欲的で、ポリティカルコレクトネスは外さない。「男の子は冒険で、女の子は家庭を守る」というストーリーには絶対にしない。今回で言うと差別についてだけれど、現実の難しさを描写しつつ、最後は正論に戻ってくる設計になっている。綺麗ごとと言えば綺麗ごとかもしれないけれど、それだけではなくてサブカル的なギャグも挟んでくるし、ギリギリの線まで攻める姿勢もある。だから大人が観ても抜群に面白いわけです。

自分もポリティカルコレクトネス的感覚は刷り込まれていて、例えば「人種差別の感覚を持つのは恥ずかしい。百歩譲ってそのような気持ちがあったとしても、口に出すなんて論外」という気持ちがある。ヘイトスピーチやっている人たちなんて最たるものだけど、ツイッターでも差別意識を露わにしてつぶやいている友人が結構いるわけです。自分もそういう意識がまったくないかと言えばそうでもないし、聖人君子でもないけれど、色々な意味で違和感を覚えることが多い。多様性を許容する感覚というのはこれはもう必須なのではないかと思う。善悪の問題ではなくて、グローバル化の中でそういうルールにせざるをえないと。

と言っても、人はそうそう変わらないし、強制しようとも思わない。ただ、せめて自分の子供にはそのような感覚を育んで欲しいと思っている。その中でディズニーのアニメは楽しみながら差別や偏見について学べる構造になっているので、凄くいいなあといつも思う。

最後に。「ニックが恋愛工学の使い手」というのがネット上で言われていたけれど、確かに頷けるところがあった。イエスセットやレディファーストという初歩的な技術はもちろん、自己開示による共感ゲットや適度なディスりや突き放しなど、高度な押し引きの連打。そしてだいたい気持ちを掴んでからのボディタッチ(頭ポンポン)。真面目で恋愛に興味のなかったであろう田舎娘のジュディなどイチコロなのもやむなし。差別をメインテーマにしながら、並行して恋愛指南まで盛り込んでいるというディズニー恐るべしである。ただ、観客の女の子にちょい悪男(ニック)を推奨し、非モテ(警察の受付係・名前忘れた)を馬鹿にするメンタリズムを推奨してしまわないか心配ではある。逆に、男の子だったらこの辺のテクニックもディズニー映画で学んで欲しいものだ。


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